ラオスコーヒーの特徴とティピカコーヒー
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ラオスコーヒーの特徴とティピカコーヒー
ラオスコーヒーの味は、爽やかな酸味と甘みを含んだ優しい味です。
その中でも、ラオス産のアラビカ種のティピカは、深煎すると濃厚なミルクチョコレートのような風味と優しい甘さを楽しめることができます。
雑味もなく軽い飲み口で、コーヒー独特な苦みや酸味が苦手な方でも飲みやすいコーヒーで、甘味のある爽やかで素朴で芳醇な風味になっています。
その反面、コーヒー好きには、個性のない味わいと感じるかもしれません。
ラオスで作られているコーヒーは、約7割が缶コーヒーなどに使われているロブスタ種やベリカ種で、約3割がアラビカ種になります。
ロブスタ種は主にラオスで日常的に飲用されているコーヒーとして栽培されています。
アラビカ種はマイルドな味のため高品質とされ、国外への輸入品のドリップコーヒーやエスプレッソ向けに栽培されています。
ラオスコーヒー年間生産量年間生産量:165,888トン
生産国量ランキング:12位
ラオスでのコーヒー作りの歴史
コーヒーは、いつごろから人々が飲むようになったのでしょうか?
人々がコーヒーを飲むようになってから、どのような経緯からラオスで、コーヒー作りが始まったのでしょうか?
コーヒーはいつごろから飲まれ始めたのか?
もともと、私達がコーヒー豆と呼んでいるものは、アカネ科コーヒーノキ属(コーヒー属、コフィア属)に属する植物の総称で、常緑の喬木から採取されるコーヒーチェリーの種子のことです。
生産されたままの生の状態を生豆、加熱加工されたものを焙煎豆と言います。
焙煎・粉砕したコーヒー豆を湯や水で抽出したものが、コーヒーと呼ばれ、嗜好飲料として世界中で愛飲されています。
一般的に、15世紀の半ばにアラビア半島の南部で飲み始めたのが、現在に繋がるコーヒーの歴史の始まりと言われています。
人類が飲料として利用していたのが、アラビカ種で、原産地はエチオピア高原(アビシニア高原)とされており、ここが種としてのコーヒーの故郷として認識されています。
コーヒー名の付け方
ところで、コーヒー名の付け方は、どのような形で命名されていくのかご存知でしょうか?
色々とありますが、その多くは、産地名の場合が多いです。
皆さんがよく聞かれる「モカコーヒー」は、イエメンのかつてのコーヒー積み出しの港名でした。
イエメンの山岳地帯で収穫されたコーヒーはモカに集められ、イスラム諸国、ヨーロッパへと輸出されていきました。
15世紀半ばから18世紀初頭までの250年間、コーヒーの栽培はほぼイエメンが独占(および対岸のエチオピア)でされており、この間はコーヒーが、モカと呼ばれていました。
ラオスのティピカのルーツ
そんなコーヒーの歴史の中で、現在現存しているコーヒーの中で、原種に最も近いと言われている「ティピカ」が、どのような経緯でラオスにやってきたのでしょうか?
もともと、イエメンでのコーヒー作りは、イエメンの独占状態でした。
そのイエメンからの苗木の持ち出しは厳しく禁じられていましたが、17世紀なかばにオランダが苗木をイエメンから持ち出し、スリランカへの移植に成功しました。
1699年に、この苗木をジャワに持ち込み栽培を始めたのが成功し、18世紀前半には生産量でモカを圧倒することになります。
このモカから持ち出されたコーヒーの苗木が、現在でも栽培されている優良品種ティピカのルーツと言われています。
1706年にオランダがジャワからアムステルダムの植物園に移植されました。
1714年には、その植物園で育成した苗をオランダが、フランスのルイ14世に献呈。
1723年に、パリの植物園で栽培した苗木を、フランスの海軍将校グアドループ総督(※)によって、フランスのマルティニーク島に移植されました。
1730年には、このコーヒーがハイチを初めとするカリブ海(18世紀前半)、中南米一帯へと広がっていったのです。
尚、この時にはブラジルには広まりませんでした。
(※)海軍将校グアドループ総督
1720年代に西半球のフランス植民地におけるコーヒー栽培を発案し、栽培に尽力した海軍提督です。
そして、1915年にフランスが、コーヒーの苗木を、ラオス持ち込んだのが始まりです。
植民地時代のフランスによって、コーヒー栽培を行っていましたが、試行錯誤の結果、南部の方がコーヒー栽培に適していることが分かったことから、ラオス南部のボーラウェン高原で栽培するようになりました。
現在、ラオスにおけるコーヒーは、ラオス第5位の輸出品目になっており、アラビカ種とロブスタ種の他にリベリカ種も栽培されています。
ボーラウェン高原は、火山の噴火があったことから、土壌の排水性がすぐれた肥沃な土地であったために、ラオスでのコーヒー栽培の中心地になりました。
コーヒー作りに最適なボーラウェン高原
ボーラウェン高原は、ラオス最南部のある高原で、タイとの国境から車で約1時間半ほどで行ける場所にあります。
標高は500~1200メートルで、朝晩は涼しく、過ごしやすい気候です。土壌は火山による多孔土に覆われ、コーヒー栽培に適しています。
ボーラウェン高原は常緑樹が生い繁るパクソン郡にある。土壌だけではなく、標高800メートルから1350メートル地帯の冷涼な気候と、雨季と乾季がありがコーヒー栽培に最適な地としている。
ラオスのアラビカ種は標高約1100~1300㍍で栽培され、ロブスタ種概ね800~1100㍍の標高で栽培されています。
ラオスコーヒーの95%が、ボーラウェン高原で栽培されています。
ラオス人にとってのコーヒーとは?
今のラオスにとって、コーヒーは大事な収入源のひとつですが、ラオス独自の農業形態から農家個人での栽培が支流になっていることから、各農家に安定した収入が見込めない状態です。
そんなコーヒー作りやコーヒーに対する食文化について、ラオス人はどのように思っているのでしょうか?
ラオス人のコーヒーの飲み方
コーヒーの風味を楽しむという飲み方ではありません。
ラオス国内で消費されるコーヒーは、病気や害虫につよいロブスタ種と言われるコーヒーです。
その理由は、アラビカ種は外貨を獲得するのに必要なため、生産量のほとんどを他国へ輸出しています。
地元の人々は、Tak Bat(タックバット 施し)後の早朝にコーヒータイムが一般的なコーヒーの楽しみかたのうようです。
ただし、ロブスタ種は、味の強いコーヒーなため、ストレートで飲むことはなく、コンデンスミルクを大量に入れて飲む人が多いです。
ラオス輸出品の中でのコーヒー
現在、ラオスからの農作物関係輸出品の中で、3番目に多いのがコーヒーです。
1番がバナナ、2番目がキャッサバそして3番目がコーヒーになります。
ラオスでは、ヨーロッパ、アジア、米国の26か国以上にコーヒーを輸出しています。
昨年2019年は、約23,000トンのコーヒー製品を約5,300万ドルで出荷し、2018年の約33,000トンから6,300万ドル以上に減少していました。
ラオスコーヒー協会(LCA)の報告によると、2020年上半期におけるコーヒーの輸出額は、約22,300トンのコーヒー豆(約4,000万ドル相当)を輸出し、昨年の2019年同時期の輸出額から、約2,000万ドルの増加があった模様です。
LCAの事務局長SivixayXayasengによると、「毎年、生産されるコーヒー豆の量は、気候やコーヒー植物に影響を与える病気など、多くの要因によって異なりますが、この増加は、今年の世界市場でのコーヒー価格の上昇と、昨年よりも多くのコーヒー豆の生産があった。」とのことでした。
また、政府による厳しい統制により、外国の貿易業者が農家からコーヒー豆を違法に購入することがより困難になり、輸出増加が要因にもなっているようです。
多くのラオスのコーヒー豆は、外国の貿易業者が購入した後に、税金を払わずに他の国に輸送されてから処理され、他国に輸出されることが多いです。
買い取り業者は、コーヒーの品質に応じて、農家からアラビカコーヒー豆を1 kgあたり1,500〜3,200 kip($ 0.17〜 $ 0.35)で購入しましたが、コーヒー豆の全体的な価格は1 kgあたり15,000〜16,500kipの範囲でした。今年のロブスタの皮をむいたコーヒーの価格は、11,000〜12,500キログラムの範囲内でした。
現在、国内で輸出販売のためにラオスの農家からコーヒーを購入している企業は8社あります。
ラオス独自のシステムを構築する取り組み
主要輸出品として、重要な品であるコーヒーですが、生産農家にとっては、買い取り業者に対して弱い立場にあることから、ラオスでのコーヒー作りには、多くの課題が横たわっているのが現状です。
ラオスならではのティピカコーヒー
ラオスコーヒーの中でも、高級コーヒー豆のティピカですが、病気に弱く、生産性も低く、手間と費用だけがかかるティピカ作りですが、その味はまろやかな酸味と甘みを含んだ優しいコーヒーで、人気のある高級品としての一面を持っています。
生育に手間がかかるティピカ作りに、新たな試みが始まろうとしています。
ラオスのティピカ作りは、品質の向上を図りながら、日々努力が個々の農家によって行われています。
ラオスでは、あくまでも原種に近いティピカを農家の栽培努力によって、自然農法で育てています。
フランスの占領から培ってきたコーヒー作りの知識は、ラオスの土地の生態や環境に適応する過程で生み出してきたラオス人の努力によって守られてきています。
特に、ティピカ作りの在来知は、ラオスの自然環境に密着した精緻で豊かな知識と技術が凝縮され、コーヒーの原種に近い「ティピカ」が生産されています。
それでも高級コーヒーティピカは、病気に弱く、生産性が低く、手間と費用がかかることが、生産者にとっては悩みの種となっています。
その反面、ティピカコーヒーの生産量を確保するため品種改良も繰り返されており、原種に近いティピカコーヒーが、今後あまり飲めなくなる可能性もあります。
日本からの技術支援とマーケティング
農家個人的な努力だけでは、どうしても限界があります。
確立したコーヒーの生産と作り上げたコーヒーの流通の確立によって、収入が少ないラオス農家に対して安定した収入を得るために、日本からの技術支援とマーケティング技術を受けることになりました。
もともと、「GPLAO pakse sole co.,ltd」によって、2018年6月に無料で学べる農業学校が開校されていました。
この開校をラオスメディアが取り上げ紹介したところ、それを見ていたラオスコーヒー協会会長より、ラオス産のコーヒーは、味は良いが豆としての評価が悪いため高く売れず、農家の所得が少ないという事情や問題について相談を受けることになりました。
そこで、「GPLAO pakse sole co.,ltd」は、栽培から加工までの細部に至るまでJAPANクオリティのプロジェクトを発足しました。
プロジェクトの目的
それは、あくまでも良質なコーヒー豆の生産と安定したコーヒー農家の収入確保が最大の目的になっています。
・生産者、販売者、消費者のすべてが利益を公平に分かち合う仕組みを構築する
・良質なコーヒー豆を生産し、一年を通して継続して流通させる
・コーヒー農家の適正所得の安定化
独自の流通網により栽培から販売までを自社で賄い、高い品質管理と安定・継続した流通を目指しています。
実際にコーヒーを生産している農家にとっては、あまり利率のよい作物にはなっていません。
コーヒー豆の実売価格からみると、農家の懐に入る金額は、わずか1~3%なのが現実です。
反対に、小売業者や流通業者・輸出業者の取り分のほうが、はるかに多いという不公平な現実がありますので、それを是正することによって、このプロジェクトを成功させ、ラオス人の経済発展のみならず、美味しいラオスコーヒーティピカを守ることにもなっていきます。
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